血統の森+はてな

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ちょりーす!×チョリース!

天皇賞(春)マイネルが掻っ攫ったというのが個人的には受けたのだけど、それ以上に勝利ジョッキーインタビューが盛り上がってるらしい。

チョリースというのは挨拶らしく、

何でも昨年の皐月賞を前に、フジテレビの競馬番組「みんなのウマ倶楽部」にて、木下優樹菜さんとした約束を、今になって果たしたのだとか。

http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/52230097.html

ということらしい。事の仔細はフモフモコラムが詳しいかと。


さて、馬券日記オケラセラのガトーさんはこれに関して、次のような事を書いている(かなり長く引用)。

これは”おバカ”女性タレントの決まりの挨拶だそうで、松岡は関東ローカル番組で、G1を勝ったらチョリースをやると約束していたよう。しばしば、アスリートがヒーローインタビューなどで約束事を実行するのを目にするが、内輪受けで多くのファンをしらけさせることから、最近は”公約禁止”を取材条件にするところもある。今回、私は天皇賞でタレントに指図された行為などするべきではないと、一瞬、不快に感じた。それは、かつて天皇誕生日に施行された勝ち抜け制レースであり、ホースマン最高の栄誉とされた歴史を特別視する価値観に囚われていたからだろう。だが、近年のレベルダウン、長距離軽視の風潮を鑑みれば、いかにも私の考えは古臭い。チョリースはオールドファンや関係者に向けた「たかが春天で背広で馬ひいてんじゃねーよ」という権威性の否定であり、血統のロマンなどという幻想に陥ったファンを覚醒させる一撃だったのだ。だから、松岡を非難する気にはなれない。ぜひ祝勝会で岡田総帥と「盾チョロイス」と盛り上がり、ダービーでも「世界のホースマンに松岡チョリース」とやってほしい。

天皇賞春回顧 高レベルだった日経賞組のワンツー: 競馬ブログ オケラセラ

神経を逆なでられた感覚をそのまま文章にするあたり、時間を置かずに書いた新鮮さと取るか、時間が経ってから振り返るに感情に突き動かされていると取るか*1。まあ、そのあたりはさしたる問題ではないのですが、引用の最後が皮肉が皮肉になってないあたりは、お察しくださいみたいな。

個人的には、木下優樹菜さんに対するガトーさんの屈折した嫉妬心みたいなものが見え透いていたり、上記引用にはない、このエントリーの最後の最後に、表向きは誰でも分かるような草なぎメンバーを引っ張りつつも、実は裸体に対するエロスをそれとなく含みを持たせるという文章は、そうだと解釈すると非常に読み応えがある体をなしてるかなと。ガチムチパンツレスリン*2の比ではない…というのは比較対象がおかしいのかもしれないけれども、そんな文章を公衆の面前にさらけ出すガトーさんなだけに、もしもお気に入りの騎手が私との約束を果たしてくれるのならば―アッー!―と思いを馳せていた、というのはかなりの確率で夢オチかもしれない。


とまあ冗談はさておき、約束守っただけでこうもコテンパンに書かれるとは、本人も驚きでしょう。空気を読め、影響力を鑑みろ、時と場所を選べ、むしろそんな約束をするな、とか言いたいのでしょうけど、その論法で行くなら、ハシッテホシーノとか命名してる場合じゃないのですよ、とかなりそうな気もしますが馬券日記 オケラセラ: 話題先行ハシッテホシーノ 買うべきか買わざるべきかなんかでは結構好意的に受け止めているとも取れて、あまり整合性は取れてないようにも思われ。

約束を守っただけ、というあらすじで行くのならば、天皇賞へのアンチテーゼとか、競馬のロマンの否定とかそういった事は一切考えておらず、単に脳天気なだけ(ともすれば松岡騎手のある種の従順さを感じることもできる)と取るのが妥当なところだと思いますけど、どんなものでしょうか。冷静な時のガトーさんの筆ならば、根本を辿ってそんな企画をタレントと騎手との間にさせたプロデューサーなりテレビ局の方に批判の矛先が向きそうなものなのですが、そうはならないのは2ちゃんねる痛いニュースあたりで繰り広げられるような安直なマスコミ叩きに走ることは無いということなのか、はたまたマスコミ批判をしたくない何かがあるのかなとも勘ぐってしまいます。

*1:この文章はレースの1日後にエントリーされてます。

*2:参考リンク:レスリングシリーズとは (レスリングシリーズとは) - ニコニコ大百科