俺はお前のブログを見ないから、お前も俺のブログを見てくれるな、という論理。
あるブログ*1に対して自分がコメントをつけて、いろいろあって最後に行き着いた相手方の反応。
私はあなたのブログを見ません。だからあなたも私のブログを見ないでください。
それあゆ様の名台詞*2の否定形か何か?とか嘯いてみたり。あゆ様風にいわせれば、「自分がどれだけのことをやってあげたからって、相手にそれを求めるなんてただの我が儘もいいところじゃないっ!」といったところ、か。
そもそもwebというシステム自体、誰にでもオープンに公開されているものなのだから、特定個人の誰かのアクセスを一切遮断するということは不可能に近い。また、誰でもその気になれば閲覧可能だから、見ようという意志自体を封じ込めるのは不可能だろう。見られないように仕向けることはできるかもしれません。あるいは、SNSのような閉じられた空間なら、本当に「こっち見るな」という荒技が可能でしょうが。
いろいろ考えていくうちに、ブログを見てくれるなという発想は根底に被害者意識があるんじゃないか、とか思った。いわば、見る方が「いじめっ子」で見られる方が「いじめられっ子」という構図だと。あくまで見てくれるなといってる方からの視点ですが。
- sugar pot | 「いじめられっ子にならない」と「いじめっ子にならない」そして「いじめっ子に近くならない」
- On Off and Beyond: イジメを減らすにはイジメられっ子側を特訓すべきではないか
いじめっ子の心理としては、自者と異質な他者に対峙したときの、異質なものに対するある種の反抗だよな、とも思う。こいつは何を考えているんだろう、ということを探るためにリアクションを求めているのだから、そのリアクションが得られるまで「いじめ」は延々と続くし、どんどんエスカレートしていく、と。まあ、目的がいつの間にかすり替わって、何か反応を得られること自体が目的と化してしまうこともしばしばですが。
そうなった場合は、やはり煽り荒らしはスルーということになるか。ピンポイントに反撃を食らわせるという方法もあるけど、どこまで効果的な一点を見いだすことができるのか、というところはなかなか難しい。しかし、いじめという視点でものを考えるならば、少なくとも上記リンクによればカウンターを食らわすことが有効ではないのか、と。