血統の森+はてな

旧はてなダイアリーの自動インポートによるアーカイブです。

2008秋華賞 馬券日記 オケラセラへの返答エントリー。

物言いが付いたので、加筆や文の入れ替えをしています。(2008-10-24)
秋華賞回顧 ネット批判を跳ね返す小島茂厩舎の大激走馬券日記 オケラセラ
批判というのは議論になりうる対象であって、

ちなみに「回避決定」を報じて騒動のきっかけをつくったスポーツ新聞各紙は、ブログ炎上の事実を切り取って美談に仕立てるのみで、自らの記事を省みているところは皆無だった。

特にこれといった意見を言っていない(と少なくとも私は思っている)ブログに、マスコミが非難される筋合いもない、とも思うのですが(挨拶)。

百歩譲って、以下の引用文が主張だとしても、結構怪しいものです。

小島茂師流の情報発信は、ウェブの発達した時代だからこそ可能になったもので、ホースマンとファンの関係に指針を与えるモデルケースではないだろうか。

少なくとも今回の騒動(コメント欄炎上から鎮火にいたる過程)は、到底モデルケースになるとは思いません。その理由としては、

  • 冗長かつ要点のつかみにくい説明でもって、さらに混乱を増長させたフシがある
    • ここぞと言うときには端的な表現でもって主張すべきです。マスコミもファンもそれを望んでいると思います。
    • (自分の言葉で説明しているにもかかわらず、マスコミでこう言ってたじゃないかという展開は、そもそも広報能力に疑問あり)
  • コメント欄が制御不能な状況に陥り、コメントの書き込みを制限せざるを得なくなった
    • 書き込み制限という方法は、さらにブログに対する憎悪を募らせる場合があります。
  • レースで結果を残せたからこそ、事態が沈静化した側面がある
    • 関係者はただ結果を残せばいいという、安易な方向に走り出しはしないでしょうか。
    • 仮にレースで結果を残せなかった場合、果たして事態を収拾させることが出来たかどうか疑問です。

といったところでしょうか。(なお、コメント欄で、引用箇所は今回の騒動を指しているわけではないとの指摘がありましたが、今回の騒動で小島調教師のブログの抱える問題を列挙したものであるので、あえてこのまま残して起きます。)上記の主張が今回の騒動という意味ではなく小島調教師のこれまでのブログ運営そのものがモデルケースという主張であったとしても(まあ、実際の主張はこっちなんだけども)、今回の騒動で雲行きが怪しくなったのではないでしょうか。むしろ、美談(?)としてマスコミで報道されることでブログの閲覧者が増え、結果として今後コメント欄が荒れる可能性が高くなったと思います。その意味では、競馬関係者が体験したことのない未知の領域に踏み出しているのかもしれない、と考えれば今後の指針にはなりうる可能性はあります。

さて、ブログにおける訪問者にとってそれなりに有益で分かりやすい情報発信と、それ相応のブログ管理能力を競馬関係者は持つべきでしょう。すぐには無理でも実践していくべきです。これが、先のはてなブックマークコメントで指摘されたような敷居の高さ(もっとも、何に対する敷居なのか分かりかねますが)に当たるかどうか?何らかの敷居があるとしても、ブログを持つなら当然心がけていくべきことと思いますが―それを敷居の高さというのならば、そもそもブログがウェブでの情報発信の敷居の高さを低くしすぎている。

有益な情報というのは人それぞれでしょうが、

  • 何か他人が知らない、新たな情報を与える
  • こういうことを考えている、といった意見表明

あたりじゃないでしょうか。その意味で後者を見出すことの出来ないリンク先ブログっていうのは、存在価値があるの?と思ってたりなんかして。


はてなブックマークでの言葉遊びにもそろそろ飽きました。書き終わった瞬間当たり前のことしか書いていない、くだらないエントリーだと思ってしまいましたが、まあこういうのもありかなとか。