血統の森+はてな

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区別か差別か、軽くグレード制について。

ICSC必死だな
マル外はアメリカで走ってます(以上2つ殿下執務室2.0 β1

内国産と外国産の区別をする意味が単純に薄れてきた、とも取れるんじゃないですかね。あるいはサンデーサイレンスという種牡馬が感覚を狂わせたのか。

JRAとしては、国庫納付金を上納さえすれば組織としてやっていけるけれども、馬産地としては、賞金を取ってこないことには資金を回収できないわけで。カブトヤマ記念愛知杯が父内国産限定のレースではなくなったのは記憶に新しいですが、その意味では馬産地の意図と逆のことをJRAはやってるなとも。外国から見て壁と思われるものを取り払おうとするのは間違ってはいないはずなのに、どこかで引っかかるものはあります。ノングレードな重賞にでもして、存続させてもよかったんじゃないですかね。

グレード表記ネタも、パート1国とかパート2国という区別でもって、差別したいんだろうなあと。中央と地方の統一競走のグレードについても、交流と銘打っている割にはやはり中央のグレードより下、と見る人が多いと思われ。

これは中央のレース体系はダートより芝に重きを置いている、ということに尽きるのかなと。とすると価値としては、統一G1≒中央ダートG1程度というのが最大限妥協した妥当な線といったところ。それでも、JRA賞のダート部門でしょっちゅう揉める様に、統一重賞の位置づけというものがファンでもサークルでも合意が取れてないとも取れ、このあたりは複雑というか、主催者が決めたけど、ファンには受け入れられていないという典型例なのかもしれません。

我が国の中央におけるレースの位置づけは、古来は旧八大競走というのが大きな役割を占めており、特に長距離に重きが置かれていた。しかし、グレード制がそれを一変させ、マイルCS安田記念はダービーや有馬記念と同じ「G1」という格の下で施行することができ、さらに一部の猛烈な反対を押し切って3200mから2000mに短縮された秋の天皇賞といったものが、距離別のチャンピヨンを生み出す土壌を作りだし、1マイルや2000mといった距離が多いに充実したという流れもあったり。ニホンピロウイナーミスターシービーはこの変革の時にうまいこと乗れたし、彼らが新しいものへの先鞭をつけた、といってもいいかもしれない。

では国際グレード(あるいはパート1国入り)や統一グレードがそういった面白いものを作り出したか?少なくとも、現時点ではあまりいい評価は得られていないと思う。ぶっちゃけ、中央視点でいれば何が変わったわけでもない。

殿下が指摘しているように、地方との交流の拡大はある意味「地方のために道路を整備したら、その道路整備が過疎化を早めた」、裏を返せば地方が中央の馬に持ってかれるだけの構図は、あるべき交流競走ではあるまい。コスモバルクが中央でのローテーションに苦労したのも、本当の意味で交流というのはなされていない、ということに尽きるとも。

しかし、交流を全面的に開放してしまったが最後、中央では締め出せているダーレーをはじめとする外国勢力が地方を踏み台にして侵入してくるという、JRAが好ましくないと考えている自体が容易に起こりえるわけで、どうしようもないというより下手に身動きが取れないといった方がJRAの心情をくみ取ることができるのかなあとも。


と考えると、地方競馬の立ち回り、というのが向こう10年の我が国の競馬というものを左右するのかなと。いいかえるなら、地方競馬中央競馬からみて総称しているけれども、実態は各都道府県で個別の運営をしているのをこのまま続けるのか、というところか。地方同士の穏やかな合従連衡策が南関以外は行き詰ってるのを黙って見過ごすのか、つまるところ、地方が中央の下部組織になるということは、賞金格差を包容したうえでもなおありうるのか、とかなんとか。最後は全然グレード制に関係なくなってきたような気もするけどまあいいや。

行き着く先は、行政の手だけに競馬が委ねられているというのがおかしな話、ということになりますか。