血統の森+はてな

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一部競馬系ブログに思うこと

ぶっちゃけ予想するのは簡単だけどそれっぽい回顧書くのは大変だからね(あまり人のことどうこう言いたくはないんですが、「トラセン」で予想記事が回顧記事の3倍近く投稿されているのは、つまりこういうことでしょ。予想だけして回顧ほったらかしというか) 

予想が簡単だけど回顧は大変だから3倍もある、ということ自体がすでに予想をする上でのロジックとして破綻してようにも思われます。
馬券予想に関しては私自身はてんで興味はありませんが、本来予想と回顧は、予習と復習のような関係であると思われ、その意味でレース回顧あってこそのレース展開予想ということを多くのサイトは認識できてないのでしょう。回顧が予想に繋がったと見出しにまでするのは、流石にはしゃぎすぎ。それとも、「もっと見て!もっとアタシを見て!@アスカ」というものですかね。*1

それはさておき、一部の競馬系サイトをみて思うのですが、不特定多数を相手にすることを想定するのではなく、特定のハンドルの読者のみを相手にしているサイトというのがあるように思えます。特定の人とのみ交流したいのならば、ソーシャルネットワーキングサービスへどうぞと言いたい。ウェブよりかは幾分住み心地がよいかと思われます。

これもまた一部の競馬系サイトに見られるのですが、例えば重賞やメインレースの記事をスポーツ新聞サイトから丸ごと転載する、レース回顧をするに当たって、レースの様子を淡々と記す、などといった付加情報のない情報の再発信があるように思えます。そのレースを見た人間にとって、付加情報のない二次情報になんら意味はないと思うのですが…新聞記事のスクラップ、情報のアーカイブのつもりなんでしょうが、前者は著作権侵害ですし、後者はレース映像があれば済む話をわざわざ文字に書き起こしているわけで、そんな労力があるならもっと他のことに力を注いだ方が賢明ですし、何もウェブでやる必要もないかなと。一昔前ならリソースの無駄という一言で片付けられた気もしますが。

どんなにちっぽけなサイトでも、ウェブサイトというのは原則としてネットに接続された情報端末とウェブブラウザがあれば誰でも、見たいときにどこからでも見れます。誰でも見れるということは裏を返せば不特定多数に対して情報を発信しているともとれるわけで、これは1つのメディアと言えます。もちろん、既存メディアであるテレビや新聞等と同等のメディアらしさを求めるのは無理なのですが、前出の既存メディアにはできないこと―ある事実に対して自分はどういうスタンスなのか、どう思っているのか、何をそこから感じ、どう考えるのか、ということを手軽に表現できる―ものが言える場としてのウェブをもっと活用すべきですし、そういうことができるということを肝に銘じておくべきでしょう。もちろん、気楽にちょっとした事を書けるのはブログの特長であるのでそれを否定こそしませんが、手軽さに気を取られて肝心の文章が推敲されることもなく、何が言いたいのかさっぱりだったり、書き手の言い分が読み手に正しく伝わらなかったりと、中身がおざなりになるのは如何なものかと。