血統の森+はてな

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新高崎構想に見る競馬ブロガー考

高崎競馬場が去年末に廃止されてから半年以上がたつ。詳しい経過はさておき、高崎競馬を復活させようとする新高崎構想に1つのピリオドが打たれた。
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ファンサイトを責めるのは筋違いだろうけれども、それでも敢えて言いたいのは”有識者会議”とやらに出席しながら、私の知る範囲でなんら情報が出せなかったブロガーに私は失望している、ということ。書けない情報を持っているというような言い回しをどこかのブログで見た記憶があるけれども、表に出せないことをうまい具合にぼかして、伝えられることを表に出すということを怠ってきたのではないか、という点に大いに不満が残る。もちろん、ブロガーといっても各自の生活があるわけだから、新高崎にずっと携わっているわけにもいかないでしょうが、新高崎を理解してもらうという1つの目的には程遠いものではなかったかと感じる。

”祭り”にできなかったこと

webの力を過大評価するわけではないけれども、いわゆるお祭り状態にできなかったことはweb上での戦略失敗だった。とにかく騒いでネット民の目を新高崎に向けるということができなかった…2ちゃんねる競馬板の該当スレッドすら盛り上がりに欠けていた。とにかく情報が無い。新高崎を応援していいものかどうか判断材料がない。webではなく現実に活動してるのか?しかし地元紙や全国紙の地方欄にもほとんど露出していない…。祭りにできなかったことはメディア戦略の失敗であり、味方を一人でも多く作ることに失敗したということでもある。勘繰ってしまえば、存在自体を知られたくなかったのか?とも思える。

オープンでなかったこと

とにかく、何でもかんでも隠すことが多かった。より多くの人に新高崎を知ってもらうという点では、これも致命的とも言える失敗だった。隠したところで何も明らかにされないのだからそれは意味の無い行為である。これまた裏を返せば本気でなかった、とも取れるわけだが。情報公開がいろいろな場面で叫ばれるわけですが、どうしてそれをしてこなかったのか。たとえ現実世界で妨害工作にたとえ会おうとも、それすらwebに曝け出していくくらいの気迫があってもよかったのではないか。本当に地方の灯を消したくないのであれば、それくらいのことをしてもいいと思うのは私だけだろうか。

まとめ

かなり好き勝手なことを書いた気がするけれども、やはり本気で何かをする、この場合は廃止になった競馬をもう一度復活させるということを実現するには、何かしらの多少の犠牲が必要ということじゃないかと。人を動かすにはそれ相応の覚悟をしなければ駄目ということでしょう。