血統の森+はてな

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敢然とマルチレス

3ついっぺんに返事をしてみるテスト。

地方競馬の地元民の認識。

地方競馬再建案グッドアイデア編りあるの競馬日記
岩手競馬の話からややそれて。
ところで私は姫路に友人がいるのですが、ちょっと姫路競馬場のことを尋ねてみました。

もんど(以下「も」)「突然だけど、姫路市民にとって、姫路競馬場って何よ?」
友人(以下「友」)「はぁ…?姫路市民とはいえ、競馬に興味がないからどうでもいい。」
友「場所すらあいまいにしかしりませんが。」

も「周りに興味持った人間もいなかった?」
友「そうだなぁ…高校の時にいないこともなかったけど、だからといって競馬場がどうとかいうことはなかったなぁ。」
友「馬の種類がどうとかいったり、ゲームとかするくらいかと。」

も「自分も関心がないけど、周囲も関心なしと。」
友「まあそんな感じ。」

と、地元の一般人の声。(ちょっと作為的な感じもしますが。)もちろん、友人が姫路市民を代表するわけでもないですが、友人にとっては、姫路競馬場はあってもなくてもいい空気のような存在といってもいいでしょう。

売り上げ云々の議論をする前に、地元市民にどこにあるのかすら定かでない、よくわからない程度の存在意義しかない競馬場を向上させる、少なくとも動物園程度の地元民の認知度というのは必要じゃないかなという気はします。逆に言えば、そんなところからはじめなければいけない、あたかもJリーグの地元サポーターを増やすが如く、地元での知名度と、イメージアップみたいなことが必要なのではないでしょうかと。

地方と中央は別の競馬です。

クラス分けなどから思う、公営(と中央)競馬の難局殿下執務室2.0 β1
殿下の意図を汲み取りきれてないかもですが、地方と中央の関係っていうのは、中央と海外の関係と同じようなものではないのかと。ディープの薬物騒動で薬物一つすら基準が海の向こうとは違うわけで、成績も地方と中央の統合は夢のまた夢、という気もします。ただ、ハンディキャップを使って云々、というのは殿下らしい発想だとは思った(笑)。
海外にある程度明るい人から見て、地方と中央の関係というのは特殊なものなのかどうか、あるいは海外の主催者はどういう運営をしてるのかという解説は読んでみたい気がしますねえ。

地方と中央の関係を論ずる前に。

地方競馬はアマチュアレベル」とか言いたいわけではないはず、ですが。傍観罪で終身刑

そんなわけで、当座の考え方としては、中央と地方の二重構造自体を非とする考え方は、色々な意味でリアリティに欠けるのかなぁ、と。
(中略)
現状での地方内格差が問題になるとすれば、

みたいな三層のピラミッド構造も一考の価値はあるかも、と(野球での例えは厳密なものではなく、漠然としたモデルイメージです)。

現実解を求めるのか、理想(政治的、法律的問題を無視するという)条件下での解を求めるのかで、導かれるものが異なってくるのではないかなとも思います。
また、中央と地方の二重構造自体を非とする考え方から演繹的に論理を展開していのか、中央と地方の二重構造自体が生み出す諸問題から帰納的に論理を組み立てあげていくのか、これによっても導かれるものが変わってくるのではないでしょうか。
あるいは、地方と中央を対等と見做すのか、中央を地方の下部組織と見做すのかで変わってくるでしょう。

結局のところ、青写真を描こうとするにもゴール地点が見えてこなければ、現状何が問題なのかすら把握し切れず(整理し切れてないといったほうが適切か)、スタート地点の状況すらわからないという、どうしようもない状況なのかもとか。

いってみれば、Southendさんが議論の先に何を求めるのか、ということなんでしょう、きっと。

ネタでも役に立つこともある

上のエントリー続きということで一つ。
「日本競馬、こんなにも問題がある!」とか言ってみるテスト。(血統の森+はてな過去ログ2006-07-15
その昔、何かの拍子で問題点を列挙してみた代物。やっつけで挙げられるだけ挙げたものなので、当然漏れはあるでしょうが、大体こんな感じなのかなと。こういう感じで俯瞰してみると、競馬界全体に問題がありすぎて、どうしようもない状況にある、といったほうがよかったりして。問題を孕んだまま、それでも今日も競馬は行われるわけで、競馬の持つ魔性なんてのがあるんですかね、やっぱり。とかなんとか。

追記してみるテスト

かなり出遅れてますが。
最近理解したことや考えたこと黒船雷電

  • 地方競馬の業績が悪化しているのは、経営の根幹を政治家や役人が握ることになる「地方競馬というシステム」そのものの問題である。
  • よって、現状の「地方競馬というシステム」で競馬を続けるのは限界が見えており、将来的にも「そこで馬が走っている幸せ」を守ろうとするのならば、それに代わる新しいシステムを打ち立てなければならない。
  • が、新しいシステムを打ち立てるられるまでの間は、暫定的に「地方競馬というシステム」ででも競馬を存続してもらう必要がある(一度競馬が無くなってしまったところに再度競馬を起こすのは難しい)。
  • というわけで、私は今後、「新システムを模索すること」と「とりあえず地方競馬を廃止させずにはおける道を探すこと」を平行してやっていこうかと思っています。

この前提がおおむね正しいと仮定して、勝手に追記。煮るなり焼くなりご自由にお使いください。

地方競馬に関しては、地方競馬全国協会(NAR)を解散、それに替わる形で地方自治体の共同出資による地方共同法人を新設させることが、政府の改革案の方針としてほぼ決まった。NARがこれまで担ってきた馬主や競走馬の登録、調教師や騎手の免許交付だけでなく、新法人では各競馬場の運営にも直接関われるようになり、全国規模で騎手や競走馬の移動が容易になることから、レース内容の向上が見込める。また新法人からの集中投資によって、施設整備や宣伝活動も大規模に実施可能になる。

  • それでも、中央と地方という二重構造が存在することには違いない。これは「わが国の競馬」という括りにおいてプラスに働くかどうかは疑問である。
  • 農林水産省の競馬に対する認識が、お寒い限りというしかない。(http://www.maff.go.jp/lin/08-keiba.html参照。他の畜産事業に比べて著しく資料が少ないと思われる。)
  • 肝心の地方競馬ファンが、地方競馬の危機的状況というものを正確に認識できていない、と思われる。